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 人生の旅路は長い。
歩むのに疲れることたびたび。
もうどうでも良いかなと思うことしばしば。
自分の小ささを思い知らせること毎日。
生きていたくないと思うことひんぱん。
それもまた死のプロセス。
死のプロセスの最中にはその終わりはなかなか見えないもの。
しかし、それでも一つも無駄なことはない。
それがわたしの人生の中でももっとも実りの多い時。
何もないことを知る時、自分に与えられているものを知り。
自分が自分の意志によって存在しているのではなく、
思いをはるかに越えた流れの中に自分が生かされ、
運ばれていることを知る時、感謝が溢れる。
死の後には新しい命が芽吹く。
待たされること、待つことは、決して受け身のことではなく、
次に進むための、非常に能動的な静の活動。

   毎年、世界中でキリストの誕生が祝われる。
クリスマスは、創造主がその愛を見えるイメージにするために
何もないものへとなられた日。
それは「死と復活」という最高のアートプロジェクトの始まり。
「一粒の麦が落ちて死ななければ実を結ぶことは出来ない。」
彼は一粒の麦となって、この地の塵のようにその命を地に注いだ。
「永遠の命」と言う、新しい命を与える為に。
花は実を結び朽ちてゆくからこそ美しい。
その死の背後に新しい命があるから。
死のプロセスが命を生む。
芸術家は、自己を表現する事に死に作品を作ることが可能なのか?
それが、この数年間の私自身への問い。

 ある晩一つの聖書の言葉を思い出した。
「御霊もおなじようにして、弱い私たちを助けて下さいます。
私たちは、どのように祈ったら良いか分からないのですが、
御霊ご自身が言いようもない深いうめきによって、
わたしたちのためにとりなしをしてくださいます。」ローマ人への手紙8章26節

 祈りにも様々な形がある。
そうならば、思いを込めて一本の線を引いたとしたら、
それさえも祈りになるのではないか。

 祈りが形になる。
真夜中に、寝床の薄明かりの側で鉛筆を取ってスケッチブックに線を引いてみた。
何か言いようもないものが腹の奥からこみ上げて来る。

 ひたすら何度も、何度も線を引き続ける。
自らの命を絶って行く人々思い、線を引く。
自分に命を与えてくれた親を殺す子どもたちを思い、線を引く。
愛されるべきはずの親に虐待されて死んで行った
子どもたちの悲しみを思い、線を引く。
遠いはるか彼方の国で、爆弾におびえながら過ごしている人々を思い、線を引く。
私には手の届かない、私には何も出来ない。
そんな人達のことを思いながら私はひらすら線を引く。
言いようもない思いが腹からこみ上げる。


 人にはみんな表現する力が備えられている。
私はそう信じる。
もし創世記の言うとおり、人が創造主に似せて作られているとしたら、
その創造の力も分与されている。
人は誰でも表現者になれる。ただその方法を知らないだけなのだ。
あなたはどうか?
描けないと思っていないだろうか?
たった一本の線でも、色んなことを表せる。
それを知っているだろうか?
筆跡を見て、この人は意志の強い人だとか、
繊細な人なんだなあとか思ったことがないだろうか?
それは、名前という情報の他に線の引き方の強さや、
形の癖に現れているものを読み取っているのだ。

一本の線。

その中に様々なものを私たちは託すことが出来る。

 人伝えたいけれど伝えられない思い。
だれにも知られたくない思い。
溢れる感動。
やり場のない怒り。
心を満たす平安。
自分でも知りたくない痛み。
あきらめかけている夢。
愛しい人への、熱い思い。
だれもが、心の中にだれにも話せない、
言葉にならない思いを持っている。

 人は何のために表現するのか?
力を現すため?
自己を主張するため?
自分の存在を確かめるため?
愛し合うため...。

 人のその思いをこめた線。
知らない人が見たら、ただの紙切れ一枚。
しかし、それは描いた人の心が、
そして、その人生の一部が込められている。
人には見過ごされ、
あるいは捨てられてしまいそうなそんな存在。
それを手にとり、命を吹き込む。
作品という形にして。
これも死と復活のプロセス。